0年 0月 の投稿一覧

自分のかけらを呼び戻す

こんばんは、堀江です。

最近ようやく、
真面目にチャネリング練習が
できるようになりました。

なりましてってのも変な話ですが
なかなか座れない時期もあったりします。

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本心を伝えるタイミング

いつもなら見過ごしていたはずの
自分の本心に気がついてしまった。

それは、本当にささやかで
普段通りの私であれば
とっととフタをして
見ないことにしていただろう。

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言葉の便秘

最近ブログがあまりかけなくて
なんとなく、ぼんやりしていた。

どうしても、毎日書かなきゃとも
思ってないし

書きたいことが出来たら書こう
と言ったくらいに思っていたら

書きたいことが全然出てこない。

あれ、なんか変だな。
と、お友だちの村田和美さんのUEセッションにお世話になった。

そうしたら
書きたいことを表現する言葉を持っていない。
という気持ちが出てきた。

表現したい、伝えたい
という、エネルギーはあるのに
出し方がわからない。

それを伝えるためには
理論でも、感情でも、なんでもいいのだけど
表現する語彙が見当たらない。

書きたいことはあるのだけど
言葉にならなくて、モヤッとしていた。
そう、そうなんだわ。

いっそ、踊ったり、歌ったりすれば
伝わるのだろうか(いや、それも違う)。

体感していること、例えば
エッセンシャルオイルは、感情に
かなり有用に働きかけてくれるんだけど
ポイントが絞れない。

それが、
表現する言葉がない。
と、言語化できたことで、スッキリとした。

ビリーフリセットは、この感じ?というのを
言語化して感じるから、ポイントが絞れる。
ポイントが絞れるというのは、とても伝えやすいということでもあるのだ。

でも、今自分は
体感で得たものを、言語化しようと
試行錯誤している。

伝わらなくてもいいから書く。
その方法でしか、ブレイクスルーは起きないのかもしれない。

お友だちが、怖いことやると
ブレイクスルーが起きた、と書いていたけど
何が怖いかなぁ。

私まだ、怪しいこと書くと
火あぶりにされると思ってるのかなぁ。

と、思っていたら
今日、久しぶりに解放があったので
次に書こうと思う。

与える者、与えられる者

こんばんは。
すっかり言葉が飛んでおります、堀江です。

私の住んでいる目黒界隈は
結婚式場や観光名所が多いため

交差点で携帯見ながら
迷っている方を多く見かけます。

タイ在住時には
迷っていると声をかけてくれる
おじちゃんおばちゃんに
何度も助けて頂いたので

迷っている方を見ると
ついついお声かけしてしまいます。

今日は、目の不自由な方が
いらっしゃったので
行先を伺い、肩をお貸ししました。

よく、こんな話をすると
ええかっこしいに思われるかしら
なんて思うのですが

道を教えたり、肩を貸したり
一見、やってあげているように見えて
実は、貰っていたりします。

いえ、貰っている分量の方が
圧倒的に多いのです。

知らない人に声かけるとか恥ずかしい
とか、まぁOBACHANになったからこそ
超えられる壁ってのもあるんですが

道教えるなんて
些細なことなんですよね
こっちですよ、って指させばいいだけですし。

わからなかったら
ググってみたり、少なくとも地元なら
他からきた人よりは知ってるから

でも、教えて差し上げると
皆さん、ものすごい愛と感謝を
返してくださるんですよね。

今日は、四谷駅で
白い杖を突きながら歩いている方が
いらっしゃったので
銀行までお供しました。

今日は寒いですね、
うちの方は雪が降りましたよ。
なんて会話をして別れぎわ

あのこれ、と言って
その方が差し出したのは
あめちゃんでした。

肩を貸したよりたくさんの
思いやりと感謝を頂いて帰ってきました。

与える者も、与えられる者も
実は、いないのかもしれない。

この世には
「与えられる者しかいない。」
と考えたなら

「奪われる」
なんていう概念もまた
なくなるのかもしれない。

仕切り直し Re Start です。

明けましておめでとうございます。節分、立春が過ぎました。3年過ごしたタイでも、この季節が旧正月で、街の飾りつけは華やかになり、バンコクに出稼ぎに来ている人たちは、田舎へ帰って家族と過ごします。

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プロとしてこの先、という時に

先日の再試験に合格し、 晴れてビリーフリセット®・カウンセラーとなりました。アンケートご協力いただいた皆様、ありがとうございます。

あれ?カウンセラーじゃなかったの?という声も聞こえてきそうですが、これで一応(自称)カウンセラーから、(師匠の認定を受けた)カウンセラーとなりました。

認定試験は、実際のクライアントさまとのセッションを、師匠に見て頂いて採点してもらう実技試験と、筆記試験があります。

今回も、セッション自体はもうちょっと掘り下げたかったし、再考するところはたくさんあるのですが、とはいえもうこれが今の自分の精一杯。これでダメだと言われるなら、もう仕方ない。

セッションが終わった後に、講評を頂きます。
こ・れ・が・!本当に勉強になります。
それ見逃してた。
とか、
そのフレーズか!
とかとか
ぶんぶん頷きすぎて、頸椎危うい感じです。

今回、講評を受けていた時、今までの話とちょっと違う印象があったのです。それがなにか後から考えたところ、

「プロとしてやっていくなら。」
という視点だったように感じました。

今までは、私は生徒であり師匠の教えを受ける立場の者でした。
しかし、この先…
という話をしてくださっている。と気がついたのです

それはつまり
ずっと背中を見ていた人、師匠であり、先生の、
「隣に並ぶ」ということ

そしてまた、師という存在は「親の投影」をしやすい存在でもあります。
「隣に並ぶ」と考えた時に、強い恐怖が出てきました。
私に出来るのか、務まるのか、不安そうな声が脳内に響きます。

「親を超えてはいけない」
というのは、実は強い禁止令でもあるのです。
このために、自分の力を発揮できなかったり、自分の求める幸せを実現できずに、しんどい思いをされている方も、多くいらっしゃいます。

「でもね、もう出来てるんだよ。
やるしかないんだよ。」
そう、そっと、力強く、背中を押して頂いた講評でした。

願わくば、私も誰かの背を、そんな風に押していける人となりたい。
新たに決意を固めた節分の日でした。