「心の探求」を表そうとすると
人によって様々な表現があるのよね。
「楽になる、自由になる。」
という言い方をしていた友だちもいる。
「道を探す。使命を見つける。」
という表現をしていた人もいる。
「心の探求」を表そうとすると
人によって様々な表現があるのよね。
「楽になる、自由になる。」
という言い方をしていた友だちもいる。
「道を探す。使命を見つける。」
という表現をしていた人もいる。
先日のセッションに、10年来のお友だちが来てくれた。
前回会ったのは実に2年振り
そして1年前にも、彼女はメッセージをくれていた。
「セッションを受けたいのだけど迷っている」と。
私は、どなたに対しても
「来てくれたらいいのに」
とは言うけれど、積極的に勧誘はしない。
たまに、自分の内面を見ていくって
なにか役に立つのかな?
みたいな呟きを聞くことがあるのです。
役に立つ立たないというのもビリーフなので
役に立っても立たなくてもいいんだよ
というのは置いておいて、
私が思うに
自分の内面に目を向けるって
「自分も知らなかった自分を知る」
ってことなんだよね。
特にビリーフリセットは
無意識の思い込みを見つけていく作業なので、本当に意外な自分の一面を、知ることが出来たりすることもある。
それを解放して自由になるもよし
持ち続けたいなら、持っていたって構わない。
でもね、知るだけでも全然違うんだよ。
いままで、怖くて不安で
それを見ないために必死で頑張って
もう、その囚われから逃げることが、無意識ながら目標になってしまっていると
「自分がどうしたいか」なんて
「やりたいこと」なんて
「本当の自分」なんて
全然わからなくなってしまうんだ。
でも
「そのビリーフあるね。」それだけで
もうすでに、そのビリーフは緩んでる。
そしてね
「そのビリーフあるね。」って
健気に頑張ってた自分。
一生懸命やってた自分。
自分も知らなかったような自分が
その時そこに居たんだってことを、知ることができる。
知らなかった自分を迎えに行くって
自分への愛だと思うんだ。
「切り離して置き去りにした自分」を
ちょっと距離を置いて見るとまた見方が変わってくる。
あんなに自己肯定感がない、自信がない、って言っていた方が「自分を褒めてあげたい」って、言ってたりするの。
これってすごい
自己肯定の作業だと思うんだ。
こんなこと考えてる自分もいたね。
頑張っていた自分に会いに行く
その作業は、切り離した自分を取り戻しに行く作業でもあるの、時空を超えてね。
役に立つかはわからないけど
ちょっと世界が優しくなったりします。
世界が変わるんじゃなくて、
あなたが変わるんだけどね。