悩める自由、迷える自由。

「最年少プロ棋士」のタイトルで
真剣な表情で盤に向かう10歳の少女が
電車内のニュースに流れてきた。

まだ子ども真っ盛りの
愛らしく膨らんだほっぺたと
「プロ棋士」の文字列の違和感に
しばらく画面を眺めていた。

聞けば、ご両親ともに棋士だそうで
こういう話はよく聞くよね。

音楽家の親の元で音楽家となったり
作家の親の元で作家となったり
スポーツ、政治、芸能、ことごとく
二世が活躍されていると思う。

40にもなって、
自分のやりたいことが分からないと
人生ことごとく迷子だった私からすると

そんな、
「産まれる前からレールが引かれている人生」
「運命のある人生」
というのに、少なからず
憧れを抱いたりするのだけれど

反面、迷えないというのはなんだか
不自由な身の上であるなと思ったりもする。

だって、自分のやりたいことや
好きなこと全然関係なく
目の前にそれ、用意されてるんだもんね。

そうなんだよね、私たちは
自分の窮屈さや苦しさにばかり
目を向けてしまうけれど

実は、悩んだり、迷ったりって
とても自由であることの裏返しだよね。

私はよく「わかんないなー」って言ってたり
するんだけど、これも裏返すと
「わかりたい」という好奇心の在り処を
教えてくれてるという見方もできる。

悩んだり、迷ったり
大いに楽しもうよ。

「もう、打つ手がない。」
「どうしていいかわからない。」
それって実は、チャンスなんだよね。

だって、打つ手がないなら
次にどんな手を打ったってOKなんだから
やりたいことやろうよ。

どうしていいかわからなかったら
なにもしなくたってOKなんだから
したいことして、したくなかったら遊ぼうよ。

もう、八方塞がりだ。
そう思ったら飛べばいい、掘ればいいし、
そこで、寝たっていい。

いままでのルールで戦えなくなったら
ルール変更すればいい。

だって、そのルール作ったの、自分だから。
八方に壁を築いたの、自分だから。

悩んでる、迷ってる。
きっとそれを、しに来た人生なんだよ。

大いに、楽しもうよ。
たくさんの可能性、見てみようよ。

そんでもし、そんなの出来ない!!
って感じたなら、出来ない理由があるはずだから
それを探してみようよ、一緒に、ね?

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