脇役はつらいよっていう話

「自分劇場」の主役っていう人がいる。

「自分劇場」ってのは、
自分が主人公で、周りの人は全部
「自分の劇場の脇役もしくは観客である」
という風に考えている人のこと。

いや、実はみんなそうよ。
みんな自分が主役と思って生きてるんだ。
そして、それはとっても普通のことで
とっても尊いことだよね。

自分が主役で自分の人生を謳歌すればいい。
なんて自由な響きだろう。

ここまで読んで、
自分が主役とかバカ言ってんじゃないよ!
とか
は?私はそんなことない!
私は脇に徹してますよ!とんでもない!
とか
イライラモヤモヤする人いないかな?

あ、あとあれだ
主役?自分の人生?謳歌?自由?
意味がよくわかんないな
みたいな人も、いないかな。

もし、そうならね。
あなたが地球に舞い降りた
人生の最初の頃に出会った人の中に
「自分劇場」の主役がいたのかもしれない。

その主役は、
周りの人たちに協力してもらわないと
自分の劇場が成功しない!!
なんとかしなきゃ!!
と、自分の役作りに精一杯なのかもしれない。

そして、ある主役は声高に
「主役は私よ!!主役の役作りのために
他の脇役やスタッフは協力しなさいよ!!」
と、強要し

ある主役は
無言のままに気分を察してくれることを期待し
無意識のうちに自分の劇場の成立を
周りの人に手伝わせる。

そうすると、まだこの地球のルールが
何かもよくわからないあなたは
あ、そうか俺この劇場スタッフなんだな
仕事しなきゃなんつって
その主役のために働き始める。

主役の求める世界観を実現するため
脇役に徹し、主役が満足するよう心を砕き
時に、出来ない自分を演じたり
また時には、お利口さんな自分を演じたり

ときには、主役の逆鱗に触れぬよう
陰ながら、新人スタッフのように働いた。

窮屈だな、しんどいな。もっと楽にしたいな。
そんな自分の気持ちはどこかへやって
ひたすらに、主役に尽くすんだよ。
ほんと健気で泣けてくる。

大抵の人は、人生の途中経過で
自分が主役であるように、他者もまた
他者の世界観の中で主役であるのだな。
ということを学んでくるのだけど

そこを学びきれずに
大人になった人、っていうのがたまにいる。
まぁ、それもその人の
学びである場合があるのだけれど。

そして、そうなのよ。
この主役ってのが、まぁよくある話
母親だったり、父親だったりするのよね。

で、劇場がいわゆるビリーフ。
思い込みや囚われ、
その人の価値観や世界観、ということ。

つまり、子どもは
主役である親の価値観や世界観の上で生きている。

そして、人も千差万別なので
色んな価値観を持っている親がいる訳だよ。

時代だって違うしね。
日本だって最近まで長男以外には
人権がないような考え方だってあったし

女性には意見を言ったり
表現したりという自由もなかったしね。

だから、主役である人がただ
悪意で権力を振りかざしていた訳ではない。
ということも、分かって欲しい。

しかしながら
こういった「主役」の周りに
生まれてしまった子たちがいる。

なんだかわけもわからんのに
なぜかその主役のトンチンカンな世界観に
巻き込まれては、なんとか適合しようと

本当の自分を殺し、
なんか変だよなと感じつつも
社会のルールとはこれかと学び
兵役のように「主役」の世界観を支え続ける。

そうするとさ、いつのまにか
「主役」のための舞台が
全世界だと勘違いしたまま
大人になってしまう子どもが出きてしまう。

その舞台は
本当は、とても小さな世界なんだけど
そのことに気がつけないまま。
出口があることにすら気がつかずに。

でも、ある時気がつくの。
「主役楽しんでる人」見たらイライラしたり
脇役でいいよっていいながら
自分のやりたいことが見えずに
モヤモヤしたりする。

モヤモヤしてるっつのは
本心が見えないってことだから。

モヤモヤしてるっつのは
本心がわからないってことだから。

大事だから2度書いておく。

そろそろ
その人の主役劇場、降りてもいいんだよ。
私には私の劇場ありました、って降板してさ。

別の舞台の看板掲げてさ
自分の演目で、自分の演じたい主役やろうよ。
小さい劇場からでいいからさ。

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